戸沢村蔵岡金曜クラブでの再会と再開

「えさ(家に)帰ったらまた寝れねべな。水が上がってから、『この地区さはあれもこれも無ぐなった。どさが行がねんね』と心配で。んだげんど、今日、たくさん笑って、おもしゃぐっで。この時間ば思い出すとまた、寝れねべな(笑)。一生わすんね日になっだな。」

久しぶりの再会に、参加者から出た言葉。

蔵岡金曜クラブ(以下:金曜クラブ)は、6年ほど前に立ち上がったふれあいサロン。戸沢村蔵岡地区民の会員制で、社会福祉協議会が運営のサポートを行っている。開催できたのは、発災から1か月以上たった頃だった。参加者の半数近くが避難所や、違う場所からこの日のために集まった。被災により生活環境が変わり、久しぶりに再会できた人もいる。

「みんなが口々に『楽しみにしてる』って、ここ数日言ってくれていて、その気持ちを受けつつ、いつもの通り肩の力抜きながらやったつもりです。今日のサロンでは、 涙を流しちゃいけないって思ったんだけど、最初に発声した時から、 もう、感情がこみ上げてきて・・・。やっぱり、これがいつもの蔵岡サロンだな、って。胸が熱くなりました」サロンの再開をサポートした戸沢村社会福祉協議会(以下:戸沢社協)の職員はそう教えてくれた。

当初、金曜クラブの世話人から「もう、サロンは解散したい、できない」と社協に相談があった。世話人自身も避難所生活を送る中、予想以上の被害に「もう 蔵岡に住むこと自体もできない」。他の蔵岡住民も同じ不安があったという。

「このまま金曜クラブを解散させたくない」戸沢社協の安食さんはこみ上げる思いをグッと抑えた。

金曜クラブ再開へ向けての声があがったのは、発災からひと月ほど経ち、少し片付けが落ち着いた頃。改めて「サロンをやってみない?」と再開について世話人に声をかけた。

「周りからも『集まる場所がなくなった』っていう声もあって、日常生活にどこか空白を感じていた頃だと思います。」もちろん、避難所でも介護予防の体操など、支援者による集いは行われている。「それはいいことだけど、やっぱり地元でサロンをやることが、みんなにとっては特別なんです。世話人も金曜クラブをやっていた頃を思い返して、再開を考え直してくれた。少しずつ前を向く気持ちになっていったんじゃないかな。」(職員:安食さん)

見慣れた風景が一面、沼のように

7月に山形県を襲った記録的な大雨で戸沢村では複数の川が氾濫し、住宅など少なくとも300棟が浸水の被害を受けたほか、役場の周辺も一時、冠水。村を流れる最上川や鮭川の水があふれたほか、水路などへの排水が追いつかず、水があふれる「内水氾濫」も発生。蔵岡地区は、一時孤立状態となった。蔵岡地区の住宅は高床の構造が多く、通常の住宅より1階部分がかなり高い位置にある。それでも、部屋まで水があがってきたという。

発災時自宅にいた住民は、「ずいぶん雨が降るなぁ」そう思いつつも、数年前に整備された輪中堤(集落や耕地を取り囲むようにつくられた堤防)があるから、大丈夫だろうと思っていた。しかし就寝後、ガチャガチャとドアが倒れた音で目が覚めると、膝までの高さの水があがっていたという。停電のため電気もつかない中、大事なもの抱えて急いで2階に上がり、一晩を過ごした。明け方、そばにあった孫のタンスから引っ張り出したのは、学校の指定ジャージ。身なり構わず、窓から救助を求めた。外は一面、沼のようにみえた。

この前日から、戸沢社協では、雨の様子が気になっていた。テレビなどで情報収集をしながら、「庄内地方が大変そうだね」と話していたという。お昼過ぎからは、だんだんと雨が強くなり、避難するよう手分けをして声をかけて歩いた。「もしかしたら・・」と過去の災害が頭をよぎる。

事務所に待機していたところ、雨はさらに強さを増し、夜の10時半くらいには停電になった。その頃には職員自身の自宅付近も冠水。帰ることもできず避難所で朝を迎えることとなる。その2日後にやっと自宅に戻れたという。

47号線は通行止めとなり、道路の上に漂着物や泥が堆積。被災した人々のことを思うと、1日でも早くボランティアセンターを立ち上げたい、そう思い、隣市まで車を走らせた。必要な物資の調達など、職員で手分けをしながら準備をすすめる。被害が大きかった蔵岡地区に訪問できたのは発災から3日後のことだった。

家に帰っても「今日はおもしぇがったな」と

9月中旬、金曜クラブは蔵岡公民館の2階で行われた。公民館も被災し、壁を目でたどると、どこまで水が上がったがよくわかる。壁面上部にある分電盤も水に浸かり、カバーがはずれ剥き出しになっている。折り返し階段の壁面には、激励のメッセージが書かれた土嚢袋がたくさん飾られていた。半分まで上がると、部屋の扉を開く前から、賑やかな声。職員の軽快なトークは参加者の笑いを誘う。中の黒板には「おかえりなさい!蔵岡金曜クラブ」とかかれた大判用紙。横には、歌、モルック、茶話会、ふれあい食堂と3時間ほどの今日のタイムスケジュールが記されている。

黒板に向かって座る参加者は25人ほど。「ぼけない小唄」の歌詞カードを両手に口ずさむ。

「この歌詞のようにすっだら、ボケないんだど〜」と職員が声を張れば、笑いが返る。

戸沢社協の職員、関係者、県内外の社協職員も支援に入り20人以上のスタッフで盛り上げた。

ふれあい食堂のメニューはサラダうどん、唐揚げ、フルーツヨーグルト。

「おいしい、おいしいなぁ」うどんを平らげ、おかわりをする高齢男性のほころんだ顔。

昼食時には、白地に水玉のドレスを纏い、かつらを被った職員が登場。笠置シヅ子に扮し、東京ブギウギを歌い上げる。プロ並みの歌唱力とパフォーマンスにくぎ付けになった。軽快なトークにも参加者は大喜びし、沈んだ気持ちも忘れさせるくらいの笑いが起こる。

茶話会では戸沢自慢のぼたもちが、久しぶりの会話に花を添えた。

「今日は、みなさんとサロンで会えてよかった。本当にありがとう。水害から1か月たちましたけど、私のまぶたの裏に焼き付いていた蔵岡の風景が、一変しまって・・。」

金曜クラブの世話人が、今日集まった仲間に感謝の想いとともにそう述べた。

「こさ来て、今日はこうやって笑ってっけど、えさ(家さ)帰るとやっぱり気持ちが落ち込むんだ」と話す参加者。

サロンを再開した職員の想いがここにある。

「1ヶ月に1回でもいいから、日常から離れてみんなで他愛もない話をして笑う、っていいなと思って。1人でいるとね、悪いことばっかり考えちゃうから、一時でも心から笑ってほしい。私は、この数時間しか一緒にいられないから、精一杯楽しむことが、みんなのためにできることだと思ってて。『今日は、おもしぇがったー』って 、帰ってから”ニヤニヤ”と口元が緩むくらい思い返してもらえたら、それはもう、仕事冥利に尽きることです。」

戸沢村社会福祉協議会の職員自身も被災者でもある。それでも、発災後、いち早くボランティアセンターの立ち上げを進めた。9月末までの約2か月間、ボランティアセンターを開所し、2400人以上のボランティアを受け入れ活動を行った。並行して日常の業務も行う。人が相手の仕事は遅らせることはできない。少ない人数で、休息する時間もない中、毎日笑顔で向き合う職員。それは、戸沢村に住むみなさんの暮らしを勇気づけ、少しでも元の暮らしに近づけたい一心だった。

 

動き出すそれぞれの暮らし

避難所生活が嫌になり蔵岡の作業場を部屋として暮らす人、仕事に復帰できて「待ってたよ」の言葉に感動した人、それぞれの暮らしが動き出していた頃に行われた金曜クラブ。

「過ぎたことを悔やんでも仕方がない、みんなで一緒に蔵岡を盛り上げていきたい」と参加者からの帰り際のメッセージ。

「眠らんねぐらい、おもしぇぐて、忘れらんね日」

一緒に過ごしたみんなが、この日をそう思っただろう。

苗を植えたばかりの家庭菜園が氾濫で全滅したと話す人。家屋の片付けが落ち着き始めた頃、畑に目を向けると流れた泥がひび割れ干上がり、やるせない気持ちになる。

「その後はいかがですか、何かありましたらお声掛けください。」訪ねてきた職員の言葉は、躊躇していた気持ちを押した。野菜作りは多くの蔵岡住民にとって心の糧。

畑の泥はスコップでよけられ、埋もれたマルチシートが顔をだす。

また同じ場所に新しいキャベツの苗を置き、両手で優しく土をかぶせた。一列に並んだキャベツの苗たちが風に揺れる。葉が幾重にも重なり、ずっしりと巻ききったキャベツが並ぶ畑が目に浮かぶ。

「孫さ、食わせっだいからよぉ」。毎年繰り返されていた光景が、少し垣間見えた。

(取材2024.9.13)