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  • 白くあたたかい、その先に。 ――ケアを問い直す。 加藤忠相㈱あおいけあ・村上理香NPO法人ぽけっとぴーす(愛さぽーとNO.127)

私たちは「良かれ」と思って、安全や効率、あるいは家族の都合を優先してはいないか。 その丁寧すぎる「お世話」の陰で、本人の生きる意欲という灯を消してはいないか。加藤さんの覚悟。そして村上さんが守り抜こうとする、居心地のよさ。二人のお話は、私たちが当たり前だと思っていた「優しさ」の形を、静かに、けれど力強く問い直していく――。

からっぽのベッドと最後のラーメン

施設の部屋をのぞくと、ベッドに腰を掛けて、にこにこ挨拶を返してくれる入居者のおばあちゃん。その笑顔が仕事のモチベーションにもなっていた加藤さん。

ある朝、いつものようにのぞくと、おばあちゃんのベッドは「からっぽ」になっていた。

かつて勤めた特養時代、加藤さんが一番嫌だったこと。

それは、大好きなおじいちゃん、おばあちゃんとの「中途半端な別れ」だった。ある日突然、空いたベッドを見て「亡くなった」ことを知る。「入院したきり、最期をどう過ごしたのかもわからない。あの喪失感と後悔が、ずっとあったんです。」

だからこそ、加藤さんが自ら始めたグループホームでは、10年以上にわたり「看取り率100%」を貫いている。「手に負えないから大きな施設へ」「危ないから病院へ」と、バトンを渡すことはしない。たとえ死期が近づいても、慣れ親しんだこの場所で、いつもの仲間たちと最後まで過ごす。 「最後までお付き合いできないのなら、何の仕事をしているのかわからなくなる。それが、僕の仕事のプライドなんです。」

 

そんな加藤さんにも、忘れられない後悔があった。

グループホームを初めて、5年ほど経った頃、「すっげえ気難しくて、口数が少なくて、元看護師長で。いつも苦虫を噛み潰したような顔してるおばあちゃん」がいた。普通に歩けて、食事もしっかり食べる人だった。あるとき、主介護者である妹さんから経済的な理由で、別の施設に入居することを告げられた。お金のことだから、口をだすことはできなかった。

そして、おばあちゃんが過ごす最後の夜。食べたいものは「ラーメン」というので、みんなで食べに行く。相変わらず愛想はなかったが、すごい勢いで餃子も平らげた。

それから半年が過ぎたころ、近所のスーパーで、偶然、おばあちゃんの妹さんを見かけた。

「おねえさんは、お元気ですか?」と声をかけると、妹さんは伏し目がちに言葉を発した。新しい施設に移った後、一切食事に手を付けず、2週間で亡くなった、と。

「あれは、言葉にならない彼女の精一杯の『抗議』だったんだと思います。」と加藤さんは遠くを見つめた。

 

パラパラ、ざらざら。それが「らしさ」

加藤さんが守っているその人の「尊厳」は、日常の何気ない瞬間に宿っている。

それを村上さんは、「心地よさ」という言葉で表現した。

車椅子の上で雑誌をめくる、楽しいことが好きな息子さん。ずっとしているので、知らない人は「勉強熱心ね」と声をかける。文字を読むわけではない。ページをめくるときのざらざらとした質感、紙やインクの匂いを、パラパラパラと顔で感じる。と同時に耳はお気に入りの音楽に浸る。これが心地いいようで、飽きずに一日過ごす。これは「彼らしさ」なのだと、村上さんはノートをめくり、自分のあごにパラパラとあてた。

一方、チェッカーズに憧れ、中学校でブラスバンド部に入部した加藤さん。音楽映像作品では、透明な歌声を背景に、加藤さんが営む「あおいけあ」の日常が映し出される。夕日のオレンジを背に、サックスを演奏するその姿の陰影が浮かぶ。

主役ではない。けれど、音が重なり、空間が満ちた瞬間、自然と拍手が起こる。演奏会では、その手応えが、静かな充実感を運んできた。「ああ、これが自分らしい」

――「自分らしさ」とは。

「やりたくない」から始まった、現場への違和感

「本当は花屋か歴史の勉強をしたかった。でも、おじいちゃん子だったから、逆らえなかったんです。」 当時の加藤さんは福祉への情熱はゼロ。「西の方は怖そう」という理由で選んだ東北の福祉系大学。教員免許を取り、祖父の保育園を継ぐために「資格」を求めて過ごした学生時代。

しかし、卒業を前に祖父が急逝。親族間の「お家騒動」によって、継ぐはずだった居場所を失う。  それが皮肉にも、かつて憧れた「花屋」の世界へと彼を運ぶ。仕事に夢中になり、県社協からの再三の福祉求人ハガキも無視。「これ以上無視するなら紹介しない」という連絡に、渋々向かったのが、あの特養の面接だった。 「やりたかったわけじゃない高齢者介護の世界。断り損ねて、そのまま入っちゃったんです。」と笑いながら話す。

 

花屋から福祉の世界へ飛び込んだ加藤さん。そこにあったのは、想像していた「温かな交流」とは真逆の世界。

「じいちゃん、ばあちゃんとお茶を飲む場所だと思っていたら、渡されたのは一枚の紙。そこには5分単位で決められたマニュアルがありました。」

利用者と話せば、作業が遅れると叱られる。 そこで行われていたのは、一人の人間としてのふれ合いではなく、「修道院よりも厳しい管理」と加藤さんは表現する。

コスト計算に狂奔する現場。「一人一枚しかタオルを使わせないなんて言い始めて……。『あ、これはもう無理だな』って。こんなところに親や家族を入れたくないなって。」

加藤さんが「ダメな職員」として去らざるを得なかった20年以上前の光景。

「スケジュールが遅れるから急いで」「決められたこと以外はしないで」

その風景の中で芽生えた、加藤さんの「無理だな」という真っ直ぐな違和感。今、多くの人を救っている加藤さんの哲学は、「燃えるような使命感」ではなく、「やりたくなかった場所」で感じた「違和感」から生まれたものだった。

ないなら、つくるしかない。

その「違和感」は、村上さんもまた、別の角度から感じていた。一級建築士として、確かな設計図があれば建物が建つことを知っていた彼女。しかし、障がいのある我が子の未来には、設計図すら存在しなかった。息子さんが高校3年生になった時、愕然とした。「どこかに行く場所はあるだろう、みんな見捨てないだろうと思っていた。でも、行く場所は本当にどこにもなかった。」と振り返る。「ないなら、作るしかない」。 その決意は、プロの使命感というより、母として息子をおもう切実な「生きるための選択」だった。

そう思うと「ここに、こんな場所が必要なんだ」という一人の叫びや、今日をどうにか機嫌よく生きたいというささやかな願い。そんな、一人ひとりの日常や、誰かとの関わりの中に活動が生まれてくるものかもしれない。

加藤さんの「自分の親を預けたくない」という違和感。

村上さんが「息子の行く場所がない」という絶望。

それらから生まれたように。

 

ケアの語源は「耕す」

「よくね、『その人らしさ』っていう言葉を僕らは使うけど、じゃあね、あなたのその人らしさってなんですかって聞かれて、答えられます?」と加藤さんは鋭い表情で切り込んだ。

一瞬、会話が止まる。

確かに、答えはすぐにでてこないし、一言ではいえそうにない。

「僕らは関わる前に、その人の情報を集めるけれど、本当にその人を知ろうとしているか。どこで生まれて、何を食べて、どんな仕事に誇りを持って生きてきたのか。 そういう背景を知る努力もなしに、ただ毎日同じようにお茶を出し、全員に折り紙や塗り絵をさせて、『ケアしてます』って……本当にそれでいいんですかね。」

加藤さんは続ける。 「ケアの語源は、ラテン語の『耕す(カルチベート)』なんです。 相手の畑(可能性)を耕し、本人が持っている力を引き出すこと。 だから、困っている人に僕が一方的に何かを『してあげ続ける』ことは、ケアじゃないんです。」

その言葉は、多くの人が無意識に作り上げていた「してあげる=ケア」を覆すもの。

「良かれ」と思って先回りして準備する毎日は、本人から「自分で選ぶ」「自分で動く」という、人間としての当たり前の尊厳を奪っていないだろうか。

もしその人が、かつてサックスを吹き拍手を浴びていたアーティストなら。

もしその人が、建物の構造を計算し、まちの未来を描いていた建築士なら。

 

私たちはどこかで「福祉の相談は専門家に」と思い込んでいる。だが、加藤さんは現場で見てきた光景を、いたずらっぽく笑みを浮かべ話し始めた。

「いつも行く時計屋の親父さんには『実は最近、足が痛くて困ってるんだ』と本音を漏らすおじいちゃんが、同じ場所に座っているケアマネジャーには、絶対に相談なんてしない。今日初めて会った専門職に『困っていることはないですか?』と聞かれて、本音を答える人なんていないんです。」

 

社協や包括といった窓口は、多くの市民にとって、本当は「一生お世話になりたくない場所」かもしれない。だからこそ、日常の延長線上にある、時計屋のような、もっと柔らかい関係性が必要なのだ。

その「関係性」の究極の形を、村上さんは独自の言葉で表現した。 「何でも一人でできることがいいことじゃないと思うんです。人をうまく頼れることが大事で。だから私は、息子や利用者さんに『私のことをうまく使ってね』って伝えているんです。」

 

「もっと!」といえる経験を

「・・・本当にそれでいいんですかね。」

さっきの加藤さんのその言葉は彼女の頭の中でこだまする。村上さんは自身の息子さんとの日常を重ねるように話し始めた。

「私は料理を作るのが好きで、キッチンに立ってずっと料理をしていられる。でも、耳が暇だと落ち着かなくて、同時に小説や音楽を流すんです。一方で、息子は雑誌をめくる感覚に浸っている。お互いの『心地いい』はバラバラ。でも、それがいい。無理に一緒に何かをするのではなく、お互いの心地よさを担保できる空間で、ただ共にいる。」

村上さんが運営する「ぽけっとぴーすの森」には、決まった活動メニューがない。あるのは、その人の「楽しい、心地いい」を探る時間だ。 「障がいがあるから経験が少なくて当たり前、なんて思いたくない。だから、車椅子で海にも入るし、いかだで風も感じる。」

ある時、カフェの店員さんが、道具一式を抱えて事業所にやってきた。憧れだったカウンターに座り、本格派コーヒーの香りにつつまれるみんな。もう、嬉しさのあまり、「もっと!もっと!」とコーヒーをお代わりしている。後ろのテーブル席から賑やかな姿を眺め、自分の目がほころぶ。

「『できないから』とあきらめるんじゃなくて、当たり前のことを、みんなと一緒にすること。その『楽しい、心地いい』の繰り返しが、人生を耕していくんだと思うんです。」華奢な身体からは、想像できないくらい力強く話す村上さん。

支援する相手をこちら側の型にはめようとしてはいけない。

加藤さんの言う「背景への敬意」と、村上さんの言う「心地よさの担保」。

 

あなたが今日、誰かに向ける優しさは、

その人の可能性を耕せているだろうか。

「もっと、もっと!」とカウンターでコーヒーをお代わりする姿。

コーヒーカップから立ち上る、白い湯気の温かさ。その向こうに彼らが映った。

 

加藤忠相(かとうただすけ) 株式あおいけあ代表取締役(神奈川県藤沢市)

「管理」ではなく、その人の「暮らし」を支えるケアを実践。その姿はNHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』や映画『ケアニン』のモデルとしても描かれた。 プライベートでは無類のガンダム好き。ガンプラ作りは、一人の自分に戻れる大切な時間。

 

村上理香(むらかみりか) 特別非営利活動法人 ぽけっとぴーす理事長

寒河江市内で障がい児者の事業所を運営。「ずっとこのまちで自分らしく」を理念に掲げる。今年度、社会福祉士の資格を取得するため、寒河江市社会福祉協議会で実習を行うなど、学びの意欲は計り知れない。