「ずっと続けている日記は、前日にあったことを思い出しながら書くんだ。B5のノート両面を必ず文字で埋めるんだよ。これがね、いいんだよ。忘れていることが自分でわかるんだ。」と手のひらくらいの大きさのリングメモ帳を胸のポケットから取り出す。あった出来事を書き留めるメモ帳だ。「ほら、昨日なんか急いで支度をしたら、服の着方を間違えたと書いてある。おもしろいでしょう。」と笑うのは多田惠一さん。

ラジオと多田さん

ラジオ体操は、子どもから大人まで身体が記憶している文化だと思う。新しく覚える必要がないため、簡単に始めることができる。しかも本気でやるとかなりの運動量だ。私たちは、ラジオ体操が寒河江市内でやっていないかと、インターネットで検索したところ、ある企業のブログにたどり着いた。

ブログには「寒河江駅前の神輿広場では朝のラジオ体操が盛んです」のタイトルで、「毎朝6時30分なりますと、市内各地より 老若男女問わずに集まってきます 。中央タクシーの多田さんが持ってきてくれるラジオの音楽に合わせ 輪になってラジオ体操を楽しんでいます。 通りすがりの人も輪に入ったり、輪の外で体操をしています。 体づくり、健康管理には最適ですよね。」とあった。ここに登場する「ラジオを持ってきてくれる多田さん」にお会いしてみたいと思い、人を辿り多田さんからお話を聞く機会をいただいた。

 

ラジオ体操をはじめた想いや、どんな活動なのかを教えてもらう。

そのきっかけは、海外でみた朝の広場の光景。太陽を背に、体操をする人、散歩で行き交う人、座って休む人。それぞれが誰の目を気にするでもなく自由に過ごしている。寒河江でもこんな場所があったらな、と始めたのが、駅前のラジオ体操。もう初めて20年以上になる。それは、気温がマイナスの日でも、正月でも休みなく行っている。

 

もともと、ラジオと自分の身体一つで、好きな人が好きな時にどうぞ、と始めたラジオ体操。近くの人、車で来る人、5~10人が集まってくる。そこには昔から参加している人もいれば、犬の散歩の途中や、通りすがりの人もいる。体操が終われば、それで終わり。とてもシンプルな付き合い。ルールもなければ、団体でもないのがこの活動だ。

 

どうしてそんなに長く続けられるのか。

活動が長くなると、会や団体では活動を引き継いでくれる人がなく解散したり、参加する人が減ったから維持できない、そんな声が寄せられることを多田さんに話した。

「私は誰かのためにやっていないんだよね。だから、誰も来なくても残念な気持ちにはならないなあ。自分がやりたいからやっているのだから。」と教えてくれた。

よい一日と10,000歩

多田さんの一日はかなり規則正しい。朝は5時に起きて、タクシー会社へ出社する。今の仕事は、前日の現金売上を数えること。「これがね、脳にいいんだよ。」と笑う。そのあと、神輿会館を三周。「いつも散歩してるあの人がいないなぁ」とか、「今日も犬の散歩をしている人がいるなぁ」など、日々の風景を目で楽しむ。6時30分からは持参したラジオの放送に合わせて、ラジオ体操を駅前の広場で行う。荒天時は屋根の下で、365日行う。出張などでどうしてもいけないときは、他の方にお願いしたんだそう。「でも、本当にほとんど休んだことはないよね。私は1回もいったことないんだけど(笑)」と奥様の照子さん。

体操が終われば、自宅に戻り朝食の時間。万歩計はこの時点で4000歩を示す。朝食が終わると、役員を務める特別養護老人ホーム2カ所を訪問し、職員や入居している方と顔を合わせて挨拶をかわす。笑顔で訪問する多田さんが来るのを楽しみにされている入居者も多い。

再び自宅に戻ると、リビングで小説を読む。好きな作家をきいたところ、ジャンルは特に決まっていないそうで、今は池井戸潤の作品を読んでいると教えてくれた。1時間ほど経つと、今度はプラモデルを組み立てる。奥様によると、最初はそれほど難易度が高くないものだったが、長く続けているうちに徐々に大作になっていったそう。リビングのキャビネットに船や飛行船など大小さまざま飾られている。

午後は30分以内の昼寝をし、脳を休めたのち、スポーツジムに向かう。筋肉トレーニングとウオーキング時速6㎞を15分間行う。これを行うと万歩計は2,000歩。サウナで整えてから、自宅へ戻る。

帰ってからは日記を書く。ポケットのメモ帳を開いて、前日に何があったかを思い出す。あぁ、昨日はこんなことあったな、と自分が忘れていることを認識する。「歳を重ねていく状態の変化が分かるのがいいんだよ。」と多田さん。昨日のことを思い出しながら時間をかけてゆっくりと書く。描いた日記ノートはもう何冊にもなる。

その後は、相撲を見ながら照子さんと夕食。食事が終わると、二人で近所へ散歩に出る。歩きながら、いろいろな話をする。歩数が10,000万歩になると、自宅に戻る。テレビのニュースなどをみてゆっくり過ごし、9時には就寝。

私たちは、多田さんの暮らしに終始驚き、こんなにも規則正しく決まった生活をいつからしているのかを尋ねた。

「そうだねぇ・・」と少し目線をあげて思いを募らせた。

10年間介護していた惠一さんのお母さんが、昨年100歳で亡くなったことを教えてくれた。大きな病気はなかったものの、足の自由が利かず車イスを常時使用していたため、日中は照子さんが、お義母さんを見守っていた。

「お父さん(惠一さん)が母親思いだったから、夜間の付き添いはお任せしたのよ。おばあちゃんは幸せだったと思う。」と照子さん。それもあって9時に寝るリズムになったかなと振り返る。

「元気でいるために、必要なのは動くこと。杖を使ってでも、とにかく足を使うのがいいと思うんだよね」と恵一さん。特別養護老人ホームを経営してきた経験から、車イスがないと生活できない方を多く見てきた。それもあってか、一日10,000歩を達成することが今の日課。

「老いるのは大変なことだなぁと思っていたけど、この年になって、好きなことができる今が一番楽しいね。動きが鈍くなったり、痛いところが増えるのが辛いことだな。でも、おもしろいことは自分で探せばいいんだよ。年をとったら、周りは手伝ってあげなきゃと思うんだろうけど、社会の一員として認めていただければいいと思うんだな」。「そのために高齢者の仕事や活動の選択肢があるといいね。そうじゃないと、自分でおもしろいことを探さなくてはいけないから大変なんだよ。後はね、成果を期待しないことが大切だと思うよ」。

照子さんも一緒に会話に入ってくれて、とても仲がいいお二人。よくコミュニケーションとっていられるんですね、と伝えると、「二人しかいないものね」と照子さんが笑みを浮かべる。惠一さんが「この人もいろいろやっているんだよ。聞いてみたらおもしろいよ」と教えてくれる。

 

土曜日の朝のお楽しみ

照子さんは、娘さんからの「やってみたら」をきっかけに、お抹茶の日を毎週開催している。朝7時から8時まで、茶室を開放。外には「お抹茶をどうぞ」とお手製の看板がかかっている。小学校で活動していることもあって、近所の子に「来れたらお茶を飲みにおいで」と声をかけているんだそう。石段を上り、「おはようございまーす」と扉をガラガラとあける。「はーい、どうぞー」と照子さんの優しい声が出迎えてくれる。

子ども達は、まず照子さんが点てた抹茶を口に入れる。作法も教えていただきながら、次に自分で点てた抹茶を飲む。友達や照子さんとおしゃべりするのが楽しい模様。長い子で10~20分遊んでいく。茶道の歴史を説明したり、日常の悩みをきいたりと、子どもたちにとっても家族や学校以外の貴重な居場所となっている。

「私のことをおばあちゃんだと思っているから、親しくないけれど本音をはなしてくれるのよね。『私の本命はね・・』なんて、小学生の恋愛話を聞けて楽しいのよ」。

受験で思い悩んでいた子が、大学の合格報告に来たときには、お互いに大泣きして喜んだ。

季節ごとに床の間のしつらえや道具に変化をつけており、週末近くなると、「お菓子はあったかしら?」と考えるのも照子さんの楽しみになっているんだそう。

土曜の朝は、「茶道の勉強の日」と決めているため、「誰か来てもいいし、誰も来なくてもいい」。という心持ちで15~16年続けている。ただ、誰も来ない日はない。惠一さんが必ず来てくれるから。

照子さんの祖母は高校の茶道部の顧問をしていた。在校していた頃はそれが嫌で、短大生になってお茶を始めることにした。惠一さんと無我夢中で事業に邁進しながらも、将来を見据え「いつの日か、お茶をして過ごしたいなぁ」と自宅の隣に茶室のある離れを設けた。

「娘は3人いるんだけど、みんな楽天家でお父さんに似たの。私が心配したり、落ち込むと『また、はじまった』と言われるのよね」。そんなときにも無心になれる貴重な時間がお茶なのだという。三年前まで縁があって高校の同窓会副会長を16年間務めた。大役を果たせたのは、人前でお茶を点てたり、お客様の前を通ったり、というお茶の経験が活きたと教えてくれた。

今は近所の小学校で茶道クラブの先生としても活躍している照子さん。一年の締めには、離れの茶室にて、先生や子ども達を招いて学びのお披露目会を行った。リボンで可愛らしく装飾されたメッセージカードは、何よりも嬉しく胸がいっぱいになった。子どもたちが「これは、夏の茶碗のかたちだ!」と、教えたことが知識になっていたこと目の当たりにし、嬉しさがこみあげた。そういうやりとりを通して、子ども達から元気をもらっている。

そのとき、その時に合わせるということ

父から譲り受け、呉服の仕事をしてきたお二人。

「本当に、二人でよく働いたよね。なんでも真面目にやるとおもしろいもんだ。事業も私たちの代で終わりだと思ってたけど、何が起こるかわからないよね」。呉服卸業をどう終っていこうかと夫婦で考えていたところ、娘一家が後を継ぐため戻ってきてくれた。

現在はタクシーや介護など幅広い事業を展開している。全く知識もなかったが、縁があって介護事業を行うことになった。「今まで商売をしてきたので、違う仕事をやってみたいと思っていた。」と惠一さん。それからは息子さんが介護事業を拡大してくれたことを教えてくれた。

「なんでもやりたいと思っても、やれる期間は決まっているもの。今思うと、あの頃のエネルギーってどこいった?って思うよね。」と照子さん。

「とにかく仕事が好きということです」とお二人。

「69歳で仕事を辞めて、自分の時間を過ごします」と宣言していた照子さん。惠一さんと娘さんは、仕事に熱心な照子さんが別のことで楽しむことが想像できない、と話していたんだそう。それが絵手紙をしたり、お茶をしたりと忙しく自分の暮らしを楽しんでいる姿をみて「この人が一番変わったかもなぁ」と惠一さんと娘さん。

お二人と話していると、驚きとともに、とても前向きな気持ちになる。日々のことや年齢を重ねることを、ありのままを受け入れ楽しむ考え方。誰でも、年を取ることでできなくなることや、起こってもいないことへの不安があるはず。それが、物事の捉え方や気持ちの持ちようで、視点が変わることに気づいた。

「余計なことは考えずに、その時々の己にあわせて、年齢なりに合わせた過ごし方をするのがいいね。今は10000歩を日課にしてるけど、辛くなったら9000歩に減らせばいいだけのこと」。

明るく日差しが差し込むリビングの窓から、美しい庭を見る。毎日見ている景色も、少しずつ季節が移ろうのを感じるときがある。同じように役割や過ごし方も、少しずつ変わっていくものなのだろう。そのことに悲観するのではなく、その時々でできること、楽しむ暮らしをしていきたいものです。

 

多田夫妻から学ぶ心地よく暮らすための “いいね”

・意見が違っても認め合う

・悲観的で否定的な発言はしない

・自分の力でどうにもできないことは無視しよう

・つながりはシンプルに

・その時の己にあわせて、年齢なりに合わせた過ごし方

 

駅前ラジオ体操

毎朝6時30分から、寒河江駅駅前広場で実施。自由参加でゆるやかな健康づくりの場となっている

 

多田惠一さん・照子さん

父から引継いだ呉服卸業を経営。2008年、寒河江市内のデイサービス事業所を引き継ぎ福祉事業に参入。惠一さんは特別養護老人ホームなど3事業所を運営する社会福祉法人、タクシー2社、呉服卸の多田商店などの会長を務める。照子さんは茶道裏千家寒河江愛好会会長として活動をしている。美味しいものを娘さんとおすそ分けしあうことがささやかな楽しみ。